大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)1437号 判決

上告人

甲野春子

右代理人弁護士

加藤安宏

被上告人

乙川一郎

乙川花子

右両名代理人弁護士

辻芳廣

被拘束者

甲野夏子

右代理人弁護士

辻田博子

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所堺支部に差し戻す。

理由

上告代理人加藤安宏上告理由について

一  原審の認定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人(昭和三四年生)はスナックのホステスとして勤務していたところ、客として訪れた被上告人乙川一郎(昭和二〇年生)と知り合って大阪府堺市内において同棲するようになり、平成二年八月二三日両者の間に被拘束者が出生した。しかし、同被上告人はいまだに被拘束者を認知していない。

被上告人一郎は、堺市内において特殊自動車の回送を行う事業を営み、妻である被上告人乙川花子(昭和二四年生)との間に、長男A(昭和五一年生)及び長女B(昭和五三年生)がいる。

2  上告人と被上告人一郎は平成五年一〇月下旬ころ同棲関係を解消したが、その際、被上告人一郎は上告人に対し、上告人が就職し住居を確保して生活基盤を整えるまでの間被拘束者を預かる旨の申出をし、上告人はこれを了承した。

3  被上告人一郎は、上告人から被拘束者を引き渡された後、被拘束者を知人に預けて大阪府高石市内の保育園に通わせるなどしていたが、その後、上告人からの被拘束者の引渡しの要求を拒み、被上告人花子に事情を打ち明けた上で、平成六年二月一七日被拘束者を自宅(被上告人ら肩書住所地〔和歌山県伊都郡九度山町〕)に引き取り、以後、被上告人花子と共に被拘束者を監護養育している。

4  上告人は、被上告人一郎との同棲関係を解消した後、クリーニング会社に就職し、平成五年一二月中旬ころには高石市内のアパートに移るなど、被拘束者を引き取って生活をするための基盤を整えようとしていたところ、被上告人一郎が被拘束者を上告人に引き渡すことを拒んでその居所を明らかにしなかったため、被拘束者の探索や人身保護請求の準備のため勤務に支障を来して右会社を退職し、現在は大阪府泉大津市内の繊維関係の会社に事務員として勤務するかたわら、夜間、スナックでアルバイトをしている。

上告人は、平成六年三月一日から高石市内にある妹の甲野秋子方(上告人肩書住所地〔大阪府高石市〕)に居住しているが、上告人の両親は、上告人が被拘束者を引き取った場合に備え、自宅の二階に上告人と被拘束者が居住できるように二階を改造するなどし、上告人母子との同居及び上告人による被拘束者の養育への協力を約束している。

5  被上告人一郎は、自己所有地(約二五一平方メートル)の上に木造三階建て(床面積合計約一三四平方メートル)の前記自宅を有し、平成二年度から同五年度までの間の年収は約八〇〇万円から一八〇〇万円であった。被拘束者の日常の世話は主に被上告人花子がしている。

なお、被上告人らは平成六年三月三一日、和歌山家庭裁判所に被拘束者との特別養子縁組の申立てをした。

二  原審は、被上告人らによる被拘束者の拘束の違法性が顕著であるというためには、被上告人らが被拘束者を監護することが被拘束者の幸福に反することが明白であることを要するものとする前提に立った上で、前記事実関係の下において、(一) 被上告人らには、経済面、居住環境及び親族間の融和の面で不安は少なく、被拘束者は被上告人らの下で心身とも一応安定した生活を送っているといえるのに対し、上告人にはいずれの面でも不安が残り、被拘束者を養育する環境整備のためにはある程度の時間を要すると考えられること、(二) 被上告人花子及びその二人の子と被拘束者との間で被拘束者の精神的安定が長期的に保障されるかどうか疑問がないではないが、被上告人らが被拘束者との特別養子縁組の申立てをしていることなどを考慮すると、被上告人らが被拘束者を監護することがその幸福に反することが明白であるということはできないとし、被上告人らによる被拘束者の拘束に顕著な違法性があるとは認められないと判断して、上告人の本件人身保護請求を棄却した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

人身保護法に基づく幼児の引渡請求において、拘束が権限なしにされていることが顕著である場合(人身保護規則四条)に該当するかどうかの判断について、当裁判所の判例(最高裁平成五年(オ)第六〇九号同年一〇月一九日第三小法廷判決・民集四七巻八号五〇九九頁、最高裁平成六年(オ)第六五号同年四月二六日第三小法廷判決・民集四八巻三号九九二頁)は、請求者と拘束者とが共に幼児に対して親権を行う者である場合、拘束者による幼児に対する監護・拘束が権限なしにされていることが顕著であるということができるためには、右監護が請求者による監護に比べて子の幸福に反することが明白であることを要する旨を判示している。しかし、拘束が権限なしにされていることが顕著であるかどうかについての右の判断基準は、右判例の明示するように、夫婦の一方が他方に対し、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡しを請求する事案につき適用されるものであって、法律上監護権を有する者が監護権を有しない者に対し、人身保護法に基づいて幼児の引渡しを請求する場合は、これと全く事案を異にする。

法律上監護権を有しない者が幼児をその監護の下において拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて幼児の引渡しを請求するときは、請求者による監護が親権等に基づくものとして特段の事情のない限り適法であるのに対して、拘束者による監護は権限なしにされているものであるから、被拘束者を監護権者である請求者の監護の下に置くことが拘束者の監護の下に置くことに比べて子の幸福の観点から著しく不当なものでない限り、非監護権者による拘束は権限なしにされていることが顕著である場合(人身保護規則四条)に該当し、監護権者の請求を認容すべきものとするのが相当である(最高裁昭和四七年(オ)第四六〇号同年七月二五日第三小法廷判決・裁判集民事一〇六号六一七頁、最高裁昭和四七年(オ)第六九八号同年九月二六日第三小法廷判決・裁判集民事一〇六号七三五頁、最高裁昭和六一年(オ)第六四四号同年七月一八日第二小法廷判決・民集四〇巻五号九九一、九九六頁参照)。

本件においては、請求者である上告人は被拘束者の親権者であり、その監護をする権利を有するものであるのに対し、被上告人一郎は拘束者の父であるとはいえ、いまだにその認知をするに至っていないというのであり、また、被上告人花子は被拘束者とは血縁関係を有せず、被上告人一郎の依頼に基づいてその監護を行っているものである。したがって、被拘束者を上告人の監護の下に置くことが被上告人らの監護の下に置くことに比べて子の幸福の観点から著しく不当なものでない限り、被上告人らによる拘束は権限なしにされていることが顕著である場合に該当し、上告人の請求を認容すべきところ、前記事実関係に照らすと、被拘束者の監護について、上告人は被上告人らに比べて経済的な面において劣る点があるものの、被拘束者に対する愛情及び監護意欲の点においては優るとも劣らないと考えられるのであって、本件において、親権者である上告人が被拘束者を監護することが著しく不当なものであるとは到底いうことができない。

四  そうすると、原審の判断は人身保護法二条、人身保護規則四条の解釈適用を誤ったものであり、この違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記認定事実を前提とする限り、上告人の本件請求はこれを認容すべきところ、本件については、幼児である被拘束者の法廷への出頭を確保する必要があり、この点をも考慮すると、前記説示するところに従い、原審において改めて審理判断させるのを相当と認め、これを原審に差し戻すこととする。

よって、人身保護規則四六条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

上告代理人加藤安宏の上告理由

一 原判決には法令違反ないし判例違反の違法があるので破棄されるべきである。

(一) 本件は幼児についての監護権者から非監護権者に対する人身保護請求である。これにつき最高裁判所昭和四七年一〇月三〇日判決(判例時報六八五号九五頁)は、「法律上監護権を有しない者が幼児をその監護のもとにおいて拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて幼児の引渡を請求するときは、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察し、幼児の幸福に適するか否かの観点から、監護権者のもとにおくことが著しく不当なものと認められないかぎり、非監護権者の拘束は権限なしにされていることが顕著であるものと認めて、監護権者の請求を認容すべきものと解するのが相当である。」としている。

このように解する理由は、請求者と拘束者のいずれの監護が子の幸福のため適当かを平面的に比較して判断するのなら、人身保護手続の裁判所が実質上家庭裁判所に代わって親権者もしくは監護権者の指定・変更の処分をする結果となる虞れがあるからである。また、このように解しないと従来の判例では親権者が親権に基づく妨害排除請求として民事訴訟により子の引渡を請求しうることが認められており、親権の濫用にわたる場合にのみその請求が排斥されるものと考えられていることとも均衡を失することとなるからである。

(二) しかるに、原判決は、「拘束者である乙川一郎(以下、一郎という)の被拘束者に対する監護をもってその権限なしになされているものと、直ちにいうことはできず、請求者の本件請求の許否を決するに当たっては、被拘束者に対する拘束者らの監護につき拘束の違法性が顕著であるかどうかを判断すべきである。そして、本件拘束の違法性が顕著であるというためには、被拘束者が拘束者らの監護の下に置かれるよりも、請求者に監護されることが被拘束者の幸福に適することが明白であることを要するものの、換言すれば、拘束者らが被拘束者を監護することが被拘束者の幸福に反することが明白であることを要するものと解すべきである」と述べており、明らかに右の最高裁判決の考え方とは全く逆の判断手法を採っているのである。

(三) しかし、本件では親権者である請求者甲野春子(以下、春子という)が一時的に夏子を一郎に預けただけであり(このことは原判決も認めている)、かつ、その後一ヶ月程して春子が夏子の身柄を返すよう求めていたのであるから、親権者という監護権者から、法的には夏子との親子関係も存在しない非監護権者への請求であることは明らかであって、原判決の採用する見解を適用すべき場合に該らず、したがって、原判決は人身保護法の解釈を誤り、かつ、右の最高裁判例にも違反することが明白である。

二 原判決には極めて重大な事実誤認及び審理不尽があるので破棄されるべきである。

(一) 原判決は、一の(二)で述べた判断基準を採用する前提として、一郎の夏子に対する現在の監護が権限に基づくものであるとしている。

すなわち、原判決は「拘束者一郎は被拘束者を認知していないから、拘束者一郎と被拘束者との間に法律上の父子関係は存しないものの、拘束者一郎が被拘束者の実父であることは当事者間に争いがなく、かつ、請求者と拘束者一郎との間において、請求者が仕事に就き、住居を確保して生活が成り立つ基盤ができるまでの間、拘束者一郎が被拘束者を預かる旨の合意がなされ、拘束者一郎は右合意に基づいて被拘束者の監護養育を始めたことも、当事者に争いがない。右の事情に鑑みれば、拘束者一郎の被拘束者に対する監護をもってその権限なしにされているものと、直ちにいうことはできず」と述べている。しかし、これは判決の結果を左右する明白な事実誤認である。

(二) 確かに、春子は夏子を一郎に一旦は預けているが、転居先も見つかり就職先も決まった平成五年一二月には一郎に対して夏子を返すよう求めている。したがって、原判決の述べる当事者間での合意の効力はこの春子の返還請求の時点で失われており、その後の一郎による夏子の監護を正当化し得るものではなく、一郎に監護権限があるとは評価し得ない。

(三) また、春子が右の就職先(クリーニング会社)を辞めざるを得なかったのは一郎が夏子の返還を拒み、その所在を明かそうとしなかったので、これを捜そうとしたためであって、この事実は原判決も認めるところである。

したがって、一郎は春子が仕事に就き生活を確保して生活が成り立つ基盤をつくることを事実上妨害したに等しく、右の合意による監護権限を一郎が主張するのは権利濫用ないし信義則に違反するものである。

(四) 加えて、原審においては、当初に一郎が夏子を預かる際の合意の拘束力が何時まで継続しているのか、すなわち現在の一郎の監護が何らかの権限に基づくものと評価できるかについて、当事者間で全く争点となっておらず、この点について双方が攻撃防禦を十分に尽したとは到底言えない。このことは国選代理人の意見書も一郎に監護権限が存しないことを前提として作成されていることからも十分うかがわれるものであって、この点の審理を尽くさずになされた原判決の違法は明らかであり破棄を免れない。

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